私の庄内物語

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庄内風土記

孟宗汁と笹巻

先日、久しぶりに孟宗汁と笹巻を食べた。孟宗汁は高校の同窓会の集まりで後輩が作ってくれたもので、笹巻は、ネットで知り合って、一度も顔を合わせたこともない庄内のお年寄りの方から送ってもらったものだ。

どちらも庄内の郷土料理で、昔はどこの家でも5月のはじめ頃には、よく食べていた料理だ。東京で暮すようになって40年以上になるが、東京では食べたことがない。孟宗汁に似たものはときどき目にするが、笹巻は一度も見たことがない。

私の妻は横浜の生まれなのだが、子供がまだ小さい頃、5月の連休に庄内に帰ったことがあって、その時にはじめて「笹巻」という食べ物に出会ったらしい。それがあまりにおいしかったので、私の母に作り方を聞いたところ、囲炉裏の灰を使うということで、自分では作れないと思ったそうだ。

笹巻を食べながら、作り方のうんちくなどを喋っているうちに、子供の頃の庄内の食べ物の話になり、そういえばこんなものもあったなどといろいろ思い出してしまった。

●孟宋汁

まず、孟宋汁だが、作り方は簡単、孟宋のあくを抜き、無造作にざくざく切る。次に適当な大きさに切った油揚げと一緒に味噌と酒粕で煮るだけだ。にらぶさ(しいたけ)などを入れる家もあるようだ。最後に、ちょうどこの時期に山椒が芽吹くので、その出たばかりの葉を庭から摘んできて、一枚乗せる。山椒の匂いがぷ〜んと立ち上がって何とも言えない。書いているだけで唾が出てくる。

庄内の大概の農家は、裏庭などに竹薮を持っていて、朝、孟宋を掘ってきて、すぐ朝のうちに食べてしまう。孟宋は採ってから時間が経つと「さがる」といって、味が落ちるため、掘ってきてすぐ食べるのが一番おいしい。

この孟宋汁に絶対欠かせないのが油揚げだ。東京で「油揚げ」といえば、いなり寿司なんかに使われる、薄い油揚げを指すようだが、庄内では、東京でいうところの厚揚げのことを指す。この油揚げによって、孟宋の味が一段と引き立つのだ。

筍ということでついでに書くと、庄内の名物の一つに月山筍という、月山の麓の急斜面に生える、ちょうどアスパラ程度の大きさの筍があるのだが、これがまたおいしい。

5月の終わり頃と記憶しているのだが、父はよく月山筍を採りに出かけていた。危険な場所に生えるため、子供は連れていってもらえなかったが、夕方、ごよカゴ(といったと思うが)という大きなカゴにいっぱい採って帰ってきていたのを覚えている。

私の家では、裏に笹薮があったので、その、鉛筆よりも少し細めの竹の子を同じようにして食べていた。月山筍ほどではないものの、シャキシャキした歯触りで、これもおいしかった。

●笹巻

笹巻は庄内独特の食べ物ではないかと思っている。笹巻といえば、新潟のお土産品を思い出すが、それとは形も味も明らかに違うし、ドライブインなどで売っているものとも違うと思われる。(買ったことはないので、はっきりしたことは言えないが)

庄内の笹巻は、その年に出た熊笹の大きな葉をロート状にしてその中に生の餅米を入れ、もう一枚の葉できれいにくるんで正三角形の形にし、い草で縛る。できあがった一つの大きさ・形は、ちょうどコンビニで売っているおにぎり程度。それを囲炉裏の灰を入れた鍋(かなり大量の灰を入れていたように思う)で長時間煮るのだ。

食べる時は、藁をほどいて笹の葉をむき、きな粉と蜜(または砂糖醤油)で食べるのだが、笹をむくと、おそらく笹の葉の匂いなのだろう、いい匂いがして、つやつやで飴色のご飯が見た目にも食欲を誘う。食べると、餅のようなねばりがあり、味はまた、石灰のような香ばしい独特の味で例えようがない。灰を大量に入れる理由はいまだに謎なのだが、飴色を出すことと関係がありそうだ。作る家によって飴色の濃さがかなり違う。香ばしい味も、灰を入れることからくるのかもしれない。

笹巻は5月の子供の日などに作っていたように思う。母はいとも簡単に作っていたが、笹に餅米を入れ、藁で結ぶのが意外に難しい。手伝おうとしても、子供ではできないのだ。私の役目は囲炉裏の火の番だった。

数年前、法事で帰省した時の鶴岡の商店街を歩いていたら、八百屋の店先で、ビニール袋に入れた灰を売っている。横に置いてある札には、「笹巻用灰、1升100円」と書いてある。最近は囲炉裏のある家なんかなくなって、灰も買う時代なのだ。

おそらく、この懐かしい笹巻も、灰と一緒に姿を消す時がくるだろう。食べるチャンスはもうないかも知れない。

●金頭(かながしら)の味噌汁

山椒の葉で思い出したのが、金頭の味噌汁だ。お吸い物にもするようだが、わが家では味噌汁だった。味噌汁には必ず山椒の葉が浮いていたので、ちょうど今頃の食べ物だったのではないかと思う。

金頭はホウボウの一種で、20〜30cm程度の真っ赤な魚だ。全体の1/3は頭なのではないかと思われるほど頭の大きい魚で、頭の表面は鎧を付けたような感じで固く、ざらざらしている。ウロコはほとんどない、見ようによってはグロテスクだ。

その金頭を頭をつけたまま、まるごと味噌汁の中に入れる。それに三角に切った豆腐を入れれば出来上がりだ。 この金頭の味噌汁は、なにか特別のことがあった時に食べていたような記憶があるがよく覚えていない。というのも、普段はあまり使わない、浅くて大きめの金で縁取りしてある赤いお椀を使っていたからだ。そのお椀に、金頭をまるごと入れる。真っ赤な金頭の頭と尻尾は当然お椀からはみだしている。それがまた豪快でお祝料理のような雰囲気を出していた。

豆腐を三角に切って入れるのも意味があるのかもしれない。普段、味噌汁に入れる豆腐は四角なのだが、この金頭の味噌汁に限っては三角なのだ。底辺が4〜5cm程度の二等辺三角形で厚さは5ミリほど。私はこの豆腐がまた好きだった。いつも食べている賽の目の豆腐とは味が違うのだ。豆腐が違うわけではなく、切り方で味が変わってしまったように思う。かといって、普通のワカメの味噌汁に三角に切った豆腐を入れてもさほどではなく、むしろ違和感がある。金頭の味噌汁だからこそ、三角の豆腐が生きてくる、豆腐は三角でなければならないのだ。

金頭は、見た目とは違い、白身で淡白な味だ。味噌汁によく合っておいしい。料理屋などへ行けば、東京でも食べられるのかもしれないが、魚屋やスーパーなどでは、金頭など見たこともない。これも子供の頃の忘れられない味だ。