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庄内語とは

文字では表せない庄内弁

 口承文化である方言は、文字として記録されることはほとんどない。特に東北地方特有の訛りは、該当する文字そのものが存在しないため、正確に書き表わすことは不可能である。

 例えば「い」と「え」、「う」と「ん」、「し」と「す」、「ち」と「つ」など、どちらともつかない曖昧な言葉が多い。これは寒冷な気候が原因と思われる東北地方共通の訛りである。

 庄内弁も基本的には東北弁の一つで、曖昧な発音や、言葉の短縮、濁音の多用などは、秋田県や青森県など日本海側の地域の言葉と大差がない。しかし、庄内弁を特徴付けているのは、その言葉の響きのやわらかさである。淡々としたイントネーション、微妙な鼻濁音、京都弁を思わせる穏やかな語尾などは庄内地方独特のものであろう。

 一昨年、映画「たそがれ清兵衛」の方言指導に関わった。設定は幕末の庄内藩で、ほとんどのセリフが庄内弁というユニークな時代劇である。当時の下級武士がどのような言葉を使っていたのか、文献が残っていないので定かではないが、ある方言研究家によれば、江戸時代の庄内弁は明治生まれの方の庄内弁と同じだという。また、元士族のお年寄りの話では、その方の祖父はわれわれが知っている庄内弁とほとんど変わらない言葉を話していたということである。少なくとも江戸時代の終わりから昭和30年代前半までの100年近く、庄内弁はあまり変化していないことになる。

 そうした話に意を強くして方言指導を引き受けたのだが、うかつなことに庄内弁は文字にできないことにはじめて気がついた。例えば、「それでは」といった意味の「しぇば」という庄内弁。台本に書いてある通りに役者が話すと、まるで庄内弁に聞こえない。東北の言葉特有の「せ」と「しぇ」の中間とも言える曖昧で微妙な発音が役者にはできないのだ。書いてある文字の通りに発音するので、庄内で育った人間には我慢のならない庄内弁もどきになってしまう。結局は何度も何度も口移しで教えることになる。

 また、文字では表せないもう一つ大きな問題はイントネーションである。テレビなどでよくお笑いのネタにされる、いわゆる東北弁という先入観念があるためか、どうしても妙に語尾が尻上がりになる。

 例えば、「いい店知ってっか?」という台詞(厳密に言えば、これは庄内弁ではない。「ええ店おぼえっだが」が正解なのだが、わかりやすさを考慮し台本上は「いい店知ってっか?」ということになった)、「いい」という曖昧な発音ができないということは大目に見たとしても、その後の「知ってっか?」が物の見事にお決まりの尻上がりの東北弁になってしまう。これは庄内人が最も嫌うイントネーションなのでこのままでは庄内弁指導者として庄内人の非難を一身に浴びることになる。

 関西弁や九州弁など、関東以西の言葉は、発音も明瞭で、日常会話でも50音の範囲で充分に文章にして書き残すことができる。しかし、庄内弁はそうはいかない。まず、書こうにもあてはまる文字がない。

 「い」は「wi」、「え」は「we」、「し」と「す」は「sui」、「ち」と「つ」は「tui」のように発音される。例えば、先の「しぇば」は「shieva」に近く、渋谷や新宿は「suinjugu」であり、鈴木さんは「suinzuigiはん」である。近い文字で表現しようとすれば、アルファベット表記の方が適しているかもしれない。

 また、庄内弁には文法のような法則があり、動詞の活用や濁音と鼻濁音の使い分け、音便化や短縮化などは、庄内人であれば無意識に使い分けているが、これを他の人に教えるのは非常に難しい。ある程度体系化できるのだが長くなるので、これについてはまたの機会に譲りたいと思う。

 映画の話に戻って「もっけ(恐縮)」なのだが、京都撮影所でその日の撮影が終わった後、スタッフルームで雑談していると、背後から「しぇば」という、完璧な庄内弁が聞こえてきた。驚いて振り向くと主役の真田広之さんが微笑んでいたのであった。

田麦俣の多層民家

▲田麦俣の多層民家の勝手口側。正面を入ると土間で、左が水屋、右が馬小屋。二階と三階は養蚕のための部屋。